インフレ時代の不動産売却タイミング──実務で見える景色

WELLSTAR AGENCY COLUMN

売却査定の場で、最も多く受ける質問がある

「今が売り時ですよね?」──この問いを、ここ2年で何十回聞いただろう。物件価格が上がっているのは事実だ。だが「上がっているから売る」という理由だけで動いた投資家の中に、後から「あれは失敗だった」と言う人が何人もいる。インフレ局面の売却判断は、景気の方向感ではなく、自分のポートフォリオの構造から逆算しないと、答えが出ない。

この記事は、インフレ時代に不動産を売るか守るかを迷っている中級投資家に向けて書いている。「今の相場で売れば儲かる」という話ではなく、売ることで何を得て、何を失うかを整理するための思考の道具として読んでほしい。

インフレが不動産市場に与えている、見落としがちな構造変化

インフレが不動産価格を押し上げるメカニズムは、表面上わかりやすい。建築コストの上昇が新築価格を引き上げ、その波紋が中古市場にも届く。金融資産の実質価値が目減りする中で、実物資産への資金流入が加速する。こうした教科書的な説明は概ね正しい。

ただし、現場で観察していると、この「価格上昇」は物件の種類とエリアによって相当にばらつきがある。都心の築浅RC造は確かに高値がついている。一方で、地方の木造アパートや築30年超の物件は、表面価格が上がっているように見えても、買い手の融資条件が厳しくなっていて実際の成約価格が上がりにくい状況が続いている。

加えて、日銀の金融政策正常化の動きが融資環境を変えつつある。変動金利ローンの上昇は投資用物件の購入者層を直撃し、買い手の実効的な購買力が削られている。売り手が「今は高値」と感じていても、買い手側の資金調達コストが上がっているため、実際の成約では価格が折り合わないケースが増えてきた。これが現場で感じている、今の市場の最大の歪みだ。

都心RC造・築10年以内 価格上昇率 +22%
首都圏木造アパート・築20年 価格上昇率 +9%
地方中核市・木造アパート・築30年超 価格上昇率 +2%
地方郡部・築古一棟物 価格上昇率 ±0〜マイナス傾向

※上記は2023〜2024年にかけての主要取引事例および査定データに基づく筆者の肌感覚値。公的統計とは異なる。

つまり「インフレだから不動産は上がる」は正確ではなく、「インフレが恩恵を与える不動産と、そうでない不動産がある」と読み替えた方が実態に近い。自分が保有している物件がどちら側にいるかを、まず冷静に見極める必要がある。

実質利回りが静かに削られているという現実

インフレ局面で投資家が見落としがちなのが、賃料の硬直性だ。物価は上がっているのに、既存テナントの賃料はなかなか上げられない。管理費、修繕費、保険料、固定資産税──コスト側は着実に上昇しているのに、インカム側が追いついていない。

表面利回り8%で買った物件が、5年後に実質利回り5%台に落ちている、という話は珍しくない。NOI(純営業収益)が実態として縮んでいるにもかかわらず、「価格が上がっているから資産価値は守られている」と安心している投資家が一定数いる。だが、売却時の価格査定においては、収益性が低下した物件は買い手に足元を見られる。

特に地方の物件では、空室率の上昇と修繕コストの膨張が同時進行しているケースがある。築古の物件ほど設備の更新需要が高まる時期と、インフレによるコスト上昇が重なってしまう。この「ダブルパンチ」にある物件を抱えているなら、売却タイミングの検討は早い方がいい。

+18%
主要資材コスト上昇率(2020年比)
+3〜5%
既存物件の賃料上昇率(同期間)
▲2〜3%
実質NOIの目減り幅(試算)

手放すべき物件の見極め方──「保有継続コスト」から逆算する

「売る」という決断を感情や相場感ではなく、数字から導くには、「保有継続コスト」を5年・10年スパンで試算することが有効だ。具体的には、今後発生が見込まれる大規模修繕の費用、空室率の悪化トレンド、管理費の増加見込みを足し合わせて、それを現在の賃料収入と比較する。

この計算をすると、「持ち続けた方が得か、今売った方が得か」が金額ベースで見えてくる。感覚的に「まだ使える」と思っていた物件が、10年の保有継続コストを計上すると、今の売却益を下回るケースがある。

売却を検討すべき物件のシグナル

現場で繰り返し目にする「売り時を逃しやすいパターン」がある。築25年超の木造で、直近5年間に大規模修繕を行っていない物件は、外壁・屋根・給排水系統の更新が近い。費用は物件規模にもよるが、小規模アパートでも500〜1,500万円規模になることが多い。この修繕を「やってから売る」か「やる前に売る」かは、修繕費用の回収見込みと現在の売却価格を比較して決める。

もう一つのシグナルが、融資の出づらい物件であること。築古の木造アパート、接道条件の悪い物件、再建築不可物件は、買い手がローンを組みにくいため現金買いか割引を求められる。インフレで市場全体が沸いていても、こうした物件への恩恵は薄い。「買い手が限られる物件」は、相場が良い今のうちに出口を探すのが合理的な判断だ。

インフレ局面での売却判断は、相場の方向感ではなく「この物件を10年持ち続けたときの手残り」と「今売ったときの手残り」の比較から始まる。どちらが大きいかが、判断の基軸になる。

売却で得た資金をどう使うかが、本当の勝負どころ

不動産売却は「出口」ではなく「入口」でもある。売却益をどこに向けるかによって、ポートフォリオ全体の質が変わる。インフレ局面でよくある失敗は、「高く売れたから」という満足感で思考が止まり、売却後の資金を低利回りのまま遊ばせてしまうことだ。

売却益の活用先として現場でよく見るのは、①より収益性の高い物件への組み替え、②融資残高の圧縮による財務改善、③別の資産クラスへの分散の三つだ。ただし、これらには優先順位があって、まず財務の健全性を確保した上で組み替えを考えることが基本になる。金利が上昇局面にある今、過剰なレバレッジを抱えた状態で次の物件を買い増すのは、リスクの上塗りになりかねない。

埼玉県川口市で3棟の木造アパートを保有していたB氏(60代・元会社員・妻と2人暮らし)は、2022年末に最も古い築32年の1棟(8戸・購入価格4,200万円)を6,800万円で売却した。売却益から税引き後に手元に残ったのは約1,400万円。B氏はこの資金を使って、残る2棟のうち1棟のローン残高を一括繰上返済した。毎月のキャッシュフローが月35万円改善し、金利上昇リスクへの耐性が格段に上がった。「売却益で次を買うよりも、借金を減らす方が今の自分には合っていた」と後に話していた。インフレ局面での売却益の使い道として、財務強化に充てるこの判断は、特に定年前後の投資家には合理的な選択肢だと思う。

「高く売れたことより、ローンが消えたことの方が、夜眠れるようになった理由です」

B氏・60代・埼玉県川口市在住の不動産投資家

守るべき物件の条件──インフレに強い不動産の特徴

すべてを売る必要はない。インフレ局面において、保有を続けることに合理性がある物件も存在する。その条件を整理すると、賃料の値上げ余地がある物件、耐用年数が長く修繕サイクルが遠い物件、エリアの需要構造が強固な物件、という三つに収れんしてくる。

賃料改定の余地と借入コストのバランス

インフレに強い物件の一丁目一番地は、賃料を上げられる余地があることだ。周辺相場より明らかに割安な賃料設定になっている物件は、退去のたびに賃料を引き上げるチャンスがある。インフレが賃料改定の「口実」になる局面で、これを活かせる物件は収益力が年々改善していく。

一方、借入コストの上昇が収益を圧迫していないかも確認が必要だ。変動金利で調達している物件は、賃料収入の改善ペースと金利上昇ペースのどちらが速いかによって、実態の収益が改善しているか悪化しているかが変わる。固定金利で資金調達できている物件は、この点でインフレ耐性が高い。

横浜市港北区で1棟マンション(1992年築・RC造・18戸)を保有するC氏(50代・会社経営・既婚・子供2人)は、2021年に2億8,000万円で取得した際に一部を長期固定金利ローンで調達した。インフレが加速した2023年以降、周辺の新築マンションの家賃上昇に引っ張られる形で、既存テナントの更新時に家賃を平均で月1.2万円引き上げることに成功した。表面利回りは取得時の5.8%から6.4%に改善し、固定金利のため借入コストも変わらない。査定業者から「売れば4億円超が狙える」と言われながら、C氏は売却を見送った。「この物件は持っていれば毎年良くなる。今売ることに合理性を感じない」という判断だ。インフレが「追い風」になっている物件を、相場に流されて売ってしまうのはもったいない。

税と時間軸──売却タイミングを決める二つの変数

不動産売却で手元に残る金額は、売却価格だけでは決まらない。譲渡所得税の税率が、保有期間によって大きく変わることを忘れると、計算が狂う。

保有期間 区分 所得税率 住民税率 合計税率
5年以下(売却年の1月1日時点) 短期譲渡所得 30% 9% 39%(復興税含む約39.63%)
5年超(売却年の1月1日時点) 長期譲渡所得 15% 5% 20%(復興税含む約20.315%)

保有5年の境界線を「1月1日時点」で判定するルールは、実務で盲点になりやすい。2020年3月に購入した物件を2025年2月に売却しようとすると、1月1日時点で保有が4年11か月になり短期扱いになる。2025年2月まで待てば、同じ物件でも税率が約20ポイント変わる。売却益が3,000万円であれば、手残り差は600万円にもなる。この時間軸の調整だけで大きな差が生まれるため、「今すぐ売れる」状態になった段階で、必ず保有期間を確認することが実務の基本動作だ。

また、個人名義と法人名義では課税構造が異なる。法人が物件を売却した場合、譲渡益は法人の通常所得として課税されるため、短期・長期の区別がなく実効税率は法人税率(中小法人で概ね23〜33%程度)に収れんする。「短期でも法人なら税率は低い」という判断が成立するかどうかは、その年の法人全体の損益構造による。赤字の他事業と通算できるなら有利になる場合もあるが、単純に「法人売却=有利」とは言えない。個別の状況を税理士と確認することが前提になる。

「売らない」という選択を合理的に選ぶために

ここまで売却タイミングの話を続けてきたが、最終的に「売らない」という選択が合理的になるケースも少なくない。相場の盛り上がりに焦って動くことが、本来は持ち続けるべき資産を手放す結果につながることがある。

売却の検討を始めるトリガーとして機能するのは、相場の動きよりも自分のポートフォリオに起きている変化だ。キャッシュフローが悪化し始めた、大規模修繕のコストが収益を超えそう、融資の借り換えが難しくなった、相続対策として組み替えが必要になった──こうした内側からくるシグナルが、外側の相場観よりも実態に即した売却判断の根拠になる。

インフレが続く局面では、「実物資産を持っていること」自体に意味があることも忘れてはならない。現金化した後に、同等の物件を同等の条件で買い直せる保証はない。売って得た資金の再投資先が明確でなければ、売却は「出口」ではなく「迷子の始まり」になる。

今、自分のポートフォリオにある物件を一つひとつ見ながら、「これは10年後も自分の資産を育てているか」と問い直してみる。その問いに自信を持って「yes」と言えない物件があるとしたら、今の相場が売却を検討する入口になり得る。「インフレだから売る」ではなく、「この物件の役割が終わったから売る」という順番で考えることが、長く生き残る投資家の思考回路だと、15年間の現場を振り返って感じている。

株式会社ウェルスターエージェンシー監修株式会社ウェルスターエージェンシー投資用1棟収益物件に特化した不動産仲介・コンサルティング会社。CF・IRR・DSCRを重視した数値ベースの投資判断と、融資戦略・出口戦略まで一貫して支援。東京都中央区に拠点を置き、首都圏・名古屋・関西圏の投資家へのアドバイザリー実績多数。宅地建物取引業免許 / 東京都知事(4)第92706号公式サイト wellstar-agency.com →

FOR SUBSCRIBERS

不動産投資コラムを
定期的にお届けします

1棟収益物件投資に役立つ、
実務家ならではの視点と最新の市況を、
LINEまたはメールでお届けします。
配信は週1〜2回。ご不要になれば、いつでも解除いただけます。

LINE

公式アカウントで受け取る

LINE QRコード

QRコードまたは下のボタンから追加

LINEで友だち追加
MAIL

メールマガジンで受け取る

1分で登録完了、いつでも解除可能

メールで登録する

配信: 株式会社ウェルスターエージェンシー

上部へスクロール